東北旅・晩春の陣_2
仙台旅2日目です。
朝からレンタカーしてドライブ開始です。
(写真多くて記事長いですよー!)
昨晩、BARのマスターに
翌日は仙台ハーフマラソンがあるので通行止めがある、と
聞いてびっくり。なぜこのタイミング!
宿で確認したところ、通行止めは我々が駅回りを抜けた直後でした。ホッ。
向かうのは、仙台市の沿岸部。
友人は数十年前、仙台に住んでいたことがあり
311の津波で流されてしまったあたりが昔の(夜?)遊び場所だったので
その後をこの目で確認したい、と以前から話しており
この機会に行くことにしていました。(それで声がけしました)
田園風景を抜けていくと、徐々にさら地が増えていく。
新しく舗装された見通しの良い道が広がり、周りには重機も多く
徐々に空気感が変わって、緊張感も増していきました。
それでも時間とともに草木は生え、花も咲いていきます。
この辺りは、荒浜地区。
東日本大震災で震度6弱の揺れとともに津波の被害に遭った地域です。
襲った津波の高さは海岸沿いで10メートルに達していたそうです。
その後は災害危険区域に指定され、住むことはできません。
友人は以前の町並みを知っていますが
それを知らないわたしですら、これらの風景を目の当たりにすると
やはり、感慨深いところはありました。
ナビにその住所が表示されないため、友人にスマホ地図で誘導されながら
着いたのは【震災遺構 仙台市立荒浜小学校】。
(後日、家でWEB地図を見たら、番地表示がなかった・・・)
ここだけどーんっと建物がある風景に違和感を覚え。
門はまだ閉ざされています。
すると、ここの職員の方?がいらして
「もうすぐ門を開けるから、それまで
この先車で少し行ったところに
観音像があるので見てくると良いですよ」
と言われ、再び移動します。
5分と行かないうちに、観音像が見えてきました。
砂利の駐車場に車を止め、歩きます。
観音像と、津波の被害で亡くなった方々の慰霊碑がありました。
観音像は、津波とほぼ同じ高さなのだとか。
かなり見上げる感じでした。(マブシイ!)
思いを馳せ手を合わせてから、移動です。
海岸を見に行きます。
海沿いに新しい防波堤が建っています。
これだけだと高さが分かりにくいですが
階段数もあり、なかなかの高さと
思いました。
階段を上がり切ったところ。
幅もあり、かなりしっかりしています。
(奥に人が座っているのが見えます)
防波堤の上から海を眺め寛いでいる人や
砂浜で遊んでいる人もいました。
車も多く、人出はそこそこあります。
(ただし、災害危険区域ゆえ
海水浴は禁止です)
防波堤の上から見た観音像の背中。
凧揚げをしている人がいました。(左はiPhoneで撮影)
この日は雲一つない無敵の快晴。とにかく眩しくて・・・
ファインダーのないコンデジだったので
画面は日に照らされ真っ黒で被写体が何も見えない。
あたりを付けて撮るので精一杯でした。(手で覆っても無駄)
・・・ゆえに、左の写真はiPhone仕様となりました^^;
そして、小学校へ戻ります。
門は空いており、中にはすでに数台の車が止まっていました。
実は、ナビされて到着するも
どこの何が目的だったのか、事前には全く聞かされていなかったので
この時点で初めて、どのような場所に来たのかやっと把握しました^^;
仙台市の沿岸部にある荒浜小学校は、歴史の古い
公立小学校でしたが、2011年の東日本大震災で
甚大な被害を受け、2016年に閉校しました。
町にある校舎以外の建物はほぼずべて、津波で
流されてしまったそうです。
しかし震災を風化させず、津波の脅威を後世に
残そうと、耐震・改修工事が施され、翌年に
【震災遺構】として一般公開が始まったそうです。
2階(海側)にひしゃげた柵が見えますが、津波は
この辺りまで達し、コンクリート壁ごと
内側へ倒されていました。
ここに貼った写真はほんの一部。
津波の爪痕が生々しく残された校舎を実際に目の当たりにすると
その脅威を肌で感じ、なんとも言葉が出てきません。
(なるべく現状の姿を保存しているそうです)
二宮金次郎像。
津波により破損し台座ごと海に流されましたが、震災の約8ヵ月後
100メートルほど離れたところで発見されたそうです。
一番被害の大きかった1階の教室。
天井も床もはがされ、直接の脅威を感じました。廊下も同様です。
1階、2階は、廊下からドアの窓越しに教室を見ることができます。
3階は非公開とされ、シャッターが下ろされていました。
4階の各教室は展示フロアとなり、写真パネル等の展示、ビデオも流しています。
この様子・・・
そういえばTVで見たかも・・・
校舎屋上に避難した児童や教員
そして近隣住民は、津波からの
難を逃れられたそうです。
4階から見た光景。この日は屋上にも出ることができました。
遠方からわざわざ訪ねて来られる方々も多いそうで
(バスも通っています)
少しでも多くの目が、実際のこの光景を心に刻み
何らかの形でそれを残していけるのは、とてもいいことだと思いました。
きっと、今回行かなかったらこれからも知らないまま。
人生のうちで今、行けておいてよかったと心から思いました。
ちなみに・・・
開門前にいらした職員の方に伺った話。
このときの津波は、実はもっと巨大なものだったそうなのですが、その昔
海の前に作られた運河のおかげで、津波の威力はやや半減されたのだとか。
(それでも10メートル級ですが・・・)
その、そもそもの基礎となる運河を作らせた人こそが
初代仙台藩主・伊達政宗公だったとか。
よもや未来を予知していた訳もないでしょうが
これだけの後世において、いまだにその影響を残していることがすごいです。
*-*-*-*-*-*-*-*
そして、ここからさらに北上します。
手前のが今回のレンタルしたカー。スイフトは2回目かな。
お昼ご飯です! 本塩竈の【すし哲】さんへ。
相変わらずの緑色のビル*^^*
震災よりもずっとずっと
はるか前に行ったきりです。
仙台駅ビルに支店ができたし
わざわざ塩竈方面に行く機会もなく。
お寿司は・・・
本店も仙台駅のもブレなし!
(てことは駅のでいいのか?^^;)
塩竈も津波の被害に遭いました。
このお店周辺は、すし哲さんのビル以外は流されてしまったそうです。
板前さま:「外の景色、当時と違うでしょ?」
前過ぎて・・・。というのもありますが、確かになんとなく
到着前は「こんなところだったっけ?」なんて話していたところでした。
矢印のあたりまで海水が上がってきたそうです。
せっかくなので、運転のない友人には
お酒を堪能してもらいました。
【純米吟醸生酒 浦霞 春酣(はるたけなわ)】
お店の方曰く、浦霞・禅の生酒だそうです。
(そのあと、地元で売っているのを発見!)
塩竈・・・すぐ近くに
浦霞の酒蔵があったんですよね・・・
気になったけど! 今回は止まりません。
なぜなら・・・
・・・ってなとこで、つづきます。
朝からレンタカーしてドライブ開始です。
(写真多くて記事長いですよー!)
昨晩、BARのマスターに
翌日は仙台ハーフマラソンがあるので通行止めがある、と
聞いてびっくり。なぜこのタイミング!
宿で確認したところ、通行止めは我々が駅回りを抜けた直後でした。ホッ。
向かうのは、仙台市の沿岸部。
友人は数十年前、仙台に住んでいたことがあり
311の津波で流されてしまったあたりが昔の(夜?)遊び場所だったので
その後をこの目で確認したい、と以前から話しており
この機会に行くことにしていました。(それで声がけしました)
田園風景を抜けていくと、徐々にさら地が増えていく。
新しく舗装された見通しの良い道が広がり、周りには重機も多く
徐々に空気感が変わって、緊張感も増していきました。
それでも時間とともに草木は生え、花も咲いていきます。
この辺りは、荒浜地区。
東日本大震災で震度6弱の揺れとともに津波の被害に遭った地域です。
襲った津波の高さは海岸沿いで10メートルに達していたそうです。
その後は災害危険区域に指定され、住むことはできません。
友人は以前の町並みを知っていますが
それを知らないわたしですら、これらの風景を目の当たりにすると
やはり、感慨深いところはありました。
ナビにその住所が表示されないため、友人にスマホ地図で誘導されながら
着いたのは【震災遺構 仙台市立荒浜小学校】。
(後日、家でWEB地図を見たら、番地表示がなかった・・・)
ここだけどーんっと建物がある風景に違和感を覚え。
門はまだ閉ざされています。
すると、ここの職員の方?がいらして
「もうすぐ門を開けるから、それまで
この先車で少し行ったところに
観音像があるので見てくると良いですよ」
と言われ、再び移動します。
5分と行かないうちに、観音像が見えてきました。
砂利の駐車場に車を止め、歩きます。
観音像と、津波の被害で亡くなった方々の慰霊碑がありました。
観音像は、津波とほぼ同じ高さなのだとか。
かなり見上げる感じでした。(マブシイ!)
思いを馳せ手を合わせてから、移動です。
海岸を見に行きます。
海沿いに新しい防波堤が建っています。
これだけだと高さが分かりにくいですが
階段数もあり、なかなかの高さと
思いました。
階段を上がり切ったところ。
幅もあり、かなりしっかりしています。
(奥に人が座っているのが見えます)
防波堤の上から海を眺め寛いでいる人や
砂浜で遊んでいる人もいました。
車も多く、人出はそこそこあります。
(ただし、災害危険区域ゆえ
海水浴は禁止です)
防波堤の上から見た観音像の背中。
凧揚げをしている人がいました。(左はiPhoneで撮影)
この日は雲一つない無敵の快晴。とにかく眩しくて・・・
ファインダーのないコンデジだったので
画面は日に照らされ真っ黒で被写体が何も見えない。
あたりを付けて撮るので精一杯でした。(手で覆っても無駄)
・・・ゆえに、左の写真はiPhone仕様となりました^^;
そして、小学校へ戻ります。
門は空いており、中にはすでに数台の車が止まっていました。
実は、ナビされて到着するも
どこの何が目的だったのか、事前には全く聞かされていなかったので
この時点で初めて、どのような場所に来たのかやっと把握しました^^;
仙台市の沿岸部にある荒浜小学校は、歴史の古い
公立小学校でしたが、2011年の東日本大震災で
甚大な被害を受け、2016年に閉校しました。
町にある校舎以外の建物はほぼずべて、津波で
流されてしまったそうです。
しかし震災を風化させず、津波の脅威を後世に
残そうと、耐震・改修工事が施され、翌年に
【震災遺構】として一般公開が始まったそうです。
2階(海側)にひしゃげた柵が見えますが、津波は
この辺りまで達し、コンクリート壁ごと
内側へ倒されていました。
ここに貼った写真はほんの一部。
津波の爪痕が生々しく残された校舎を実際に目の当たりにすると
その脅威を肌で感じ、なんとも言葉が出てきません。
(なるべく現状の姿を保存しているそうです)
二宮金次郎像。
津波により破損し台座ごと海に流されましたが、震災の約8ヵ月後
100メートルほど離れたところで発見されたそうです。
一番被害の大きかった1階の教室。
天井も床もはがされ、直接の脅威を感じました。廊下も同様です。
1階、2階は、廊下からドアの窓越しに教室を見ることができます。
3階は非公開とされ、シャッターが下ろされていました。
4階の各教室は展示フロアとなり、写真パネル等の展示、ビデオも流しています。
この様子・・・
そういえばTVで見たかも・・・
校舎屋上に避難した児童や教員
そして近隣住民は、津波からの
難を逃れられたそうです。
4階から見た光景。この日は屋上にも出ることができました。
遠方からわざわざ訪ねて来られる方々も多いそうで
(バスも通っています)
少しでも多くの目が、実際のこの光景を心に刻み
何らかの形でそれを残していけるのは、とてもいいことだと思いました。
きっと、今回行かなかったらこれからも知らないまま。
人生のうちで今、行けておいてよかったと心から思いました。
ちなみに・・・
開門前にいらした職員の方に伺った話。
このときの津波は、実はもっと巨大なものだったそうなのですが、その昔
海の前に作られた運河のおかげで、津波の威力はやや半減されたのだとか。
(それでも10メートル級ですが・・・)
その、そもそもの基礎となる運河を作らせた人こそが
初代仙台藩主・伊達政宗公だったとか。
よもや未来を予知していた訳もないでしょうが
これだけの後世において、いまだにその影響を残していることがすごいです。
*-*-*-*-*-*-*-*
そして、ここからさらに北上します。
手前のが今回のレンタルしたカー。スイフトは2回目かな。
お昼ご飯です! 本塩竈の【すし哲】さんへ。
相変わらずの緑色のビル*^^*
震災よりもずっとずっと
はるか前に行ったきりです。
仙台駅ビルに支店ができたし
わざわざ塩竈方面に行く機会もなく。
お寿司は・・・
本店も仙台駅のもブレなし!
(てことは駅のでいいのか?^^;)
塩竈も津波の被害に遭いました。
このお店周辺は、すし哲さんのビル以外は流されてしまったそうです。
板前さま:「外の景色、当時と違うでしょ?」
前過ぎて・・・。というのもありますが、確かになんとなく
到着前は「こんなところだったっけ?」なんて話していたところでした。
矢印のあたりまで海水が上がってきたそうです。
せっかくなので、運転のない友人には
お酒を堪能してもらいました。
【純米吟醸生酒 浦霞 春酣(はるたけなわ)】
お店の方曰く、浦霞・禅の生酒だそうです。
(そのあと、地元で売っているのを発見!)
塩竈・・・すぐ近くに
浦霞の酒蔵があったんですよね・・・
気になったけど! 今回は止まりません。
なぜなら・・・
・・・ってなとこで、つづきます。
2019-05-27 00:00
nice!(26)
コメント(8)
あの津波と火事の様子(映像)は忘れることが出来ません。。。
もちろん忘れずにちゃんと伝えて二度と被害が出ないよう
色々と手を打つのが大切だと思いますが、
改めて被災地を見ると自然の脅威を思い知ります。
by ニッキー (2019-05-27 07:05)
凧揚げのお写真が素敵!
穏やかな日常の風景に津波の爪痕がくっきり残っていますね。
ニュースで見るより、実際目の当たりにすると、
より自然の力を感じますよね。
そして、あの恐ろしい津波からここまできた人間の力も感じます。
色とりどりのお寿司、美味しそう!
運転手さんはお酒が飲めないのがちょっと惜しいけど、ね。( ̄▽ ̄)
by knacke (2019-05-27 08:47)
その小学校の映像は確かに見ました。
小学校が公開されていることもニュースで見た記憶が・・・
あの日その屋上にいた方どんな思い出いたかを思うだけで
胸が痛くなりますが・・・
地元の方の間では小学校を残すことに反対意見もあったと聞きますが
残してくれて良かった、と私は思います。
誰もが一度はその場所にってあの日のことに思いをはせる・・・
そんな場所になると良いですね。
by ちぃ (2019-05-27 14:47)
>ニッキーさん
当事者ではない分、見方も大きく違うと思いますが
間接的に見るだけでも衝撃的でしたよね。
何にでも絶対に「想定外」はありますから
最低限の「いざというとき」のことは考えておくと良いですね。
>knackeしゃん
実は、防波堤上に止まっていたチャリンコと青空に浮かぶ凧が
ものすごく絵になっていたのですが・・・(以下省略
東京でも震度5+あったくらいだから、とにかく津波の
被害なんですよね。震源地が陸側だったら・・・
タラレバ言っても仕方ありませんが、、、悔しい感じです。
お寿司、ここのは絶品なんですよぅ(*´з`)
お酒は車を返してから堪能しましたので問題なし!です^^
>ちぃさん
TVで見て衝撃を受けたものでも、時間が経てば
見たような・・・となってしまうのが心苦しいところです。。
そうだったんですね。反対意見も分かりますけどね。
でも、「今後の不安」を外せば、こういうところは
わたしもぜひとも残してほしいと思います。
海岸も、意外と遊んでおられる方が多くて
逆にさみしい雰囲気ばかりではありませんでした。
いずれは震災を知らない世代も増えていくのでしょうね・・・。
by Ja-Kou66 (2019-05-28 00:28)
まだまだ、震災のッ爪痕が痛々しい。
それにしてもおいしそうなお寿司。。
by OMOOMO (2019-05-28 01:17)
>OMOOMOさん
画面から見るのと、実際の目で見るのとは全く違うものです。。
それにしてもお寿司はおいしかったですよ(*´∀`*)
by Ja-Kou66 (2019-05-29 00:20)
・・・私、この日が誕生日で、
ちょうど、その時間はサツエキで買い物していたので・・・
そのまま、もぉ、そのまま、いっさいTVとか新聞とか、ネットも全て、
なんも見てないんです・・・・・・
自分の中では、なかったコトにしたい1日です。
by フサヲ (2019-05-29 11:25)
>フサヲさん
あっ、そうでしたよね。
お買い物中でしたか・・・(『札駅』!はじめて知りました)
同日にどんな何があっても、いくつ歳を食っても
それとこれとは別。お誕生日はおめでたいものですよ。
でもこればっかりは、その当事者でないと分からない
フクザツなところもありますよね。。
by Ja-Kou66 (2019-05-31 23:31)